『私の財産告白』本多静六の蓄財・投資法&名言

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こんにちは。投資家・ブロガーの中田健介です。

みなさんは、本多静六(ほんだ・せいろく)という人物について聞いたことがあるでしょうか。本多静六は19世紀、貧農に生まれながら苦学して東大教授になり、「月給4分の1天引き貯金」を元手に投資して巨万の富を築いた伝説の投資家です。

本多静六は著書『私の財産告白』で自らの蓄財法・投資法を公開し、数々の名言を生み出しています。今回は、この本多静六が実践した蓄財法・投資法について解説します。

本多静六の人物像

本多静六は1866年、埼玉県に生まれました。11歳の時に父を亡くし、苦学の末、1884年に東京山林学校に入学。一度は落第するものの、猛勉強して首席で卒業しました。その後、私費でドイツに留学し、ミュンヘン大学で国家経済学の博士号を取得しました。

1892年に東京農科大学(現在の東大農学部)の助教授に就任し、「月給の4分の1を天引きで貯金する」と「1日1ページの原稿執筆」を始めました。研究生活と並行して、植林、造園、産業振興など多方面で活躍。日比谷公園の設計や明治神宮の造林などの大きな業績を残し、独自の蓄財法と生活哲学を実践して莫大な財産を築きました。この間、19回にわたり海外を訪問しています。

1927年、定年退官を機に全財産を匿名で寄付。その後も「人生即努力、努力即幸福」をモットーに、戦中戦後を通じて簡素な生活を続け、370冊以上の著作を残しました。そして1952年、85歳で逝去しました。

本多静六の蓄財法

では、そんな本多静六が実践してきた蓄財法について紹介していきましょう。本多静六が月給をもらうようになったのは、25歳で東京大学の助教授になった1892年のことでした。

当時の教員や公務員の初任給(月給)は8~9円(年収100~110円)程度でしたが、本多は年収800円という破格の給与を得ていました。

しかし、彼は意識的に質素な生活を送り、倹約を重視していました。養わなくてはならない家族が9人おり、計画的に資産を築くために本多が実践したのが、「月給4分の1天引き貯金」でした。この貯金法によって、彼は後に大きな財産を築くことになります。

月給4分の1天引き貯金

本多静六は、質素な生活を送りながらも計画的に資産を築くため、「月給の4分の1を問答無用で天引きにして貯金する」という方式を実践しました。彼はこの方法を実行するにあたり、収入があった時点でその4分の1を即座にかつ強制的に貯蓄に回し、残りの4分の3で生活をするという堅実な姿勢を貫きました。

これは大きな決心と勇気を要しましたが、この貯蓄法が彼の資産形成の基盤となりました。さらに、貯金から得られた利息についても、その4分の1を再び貯蓄に回し、資産の増加を図りました。

こうして継続的な貯蓄と投資を行った結果、40歳を迎える頃には貯金の利息や株式配当が給与を上回るほどになり、経済的な安定を手に入れることができたのです。

本職以外の副業

本多静六は、本職の大学教授の仕事に支障をきたすことなく、多方面で副業にも取り組み、財産を築きました。代表的なものが執筆業です。彼は毎日1ページの文章執筆を日課とし、生涯で370冊以上の著書を出版しました。

文章執筆は単なる副業に留まらず、知識を深める手段として実践されました。また、地方自治体や官庁の嘱託業務を引き受け、公共事業にも貢献しました。さらに、他の大学での講師も兼務し、多くの学生に教育を提供しました。実業界でも活躍し、民間の実業家に財務や事業の相談役として助言を行い、学問と実業の両面で評価されています。

これらの副業は、収入源であるだけでなく、彼の成長や知識の拡充に大きく寄与しました。

本多静六の投資法

天引き貯金やさまざまな労働によってまとまった資金を得た本多静六は、次に投資に着手します。

鉄道株への投資

本多静六は、鉄道が全国に広がる時代を見据え、鉄道業界が有望であると判断して鉄道会社の株式に投資を行いました。彼が購入した株式は、その後倍以上の価格に上昇し、大きな利益をもたらしました。

鉄道投資での成功を機に、本多はガス、電気、製紙、ビール、紡績、セメント、鉱業、銀行など、30種以上の業種にわたり優良株を選び、リスクを分散させながら投資を続けました。これらの投資も、いずれも一定の成果を収め、彼の財産形成に大きく寄与しました。

山林への投資

本多静六は、鉄道株での成功を皮切りに、秩父の山林買収に着手しました。当時、秩父の山奥には豊かな山林が広がっていましたが、鉄道や道路が整備されておらず、開発が進んでいなかったため、非常に安価で購入することができました。本多は、この山林が将来価値を持つと信じ、税金ばかりかかる土地を積極的に買い進めました。

その後、日露戦争後の好景気で木材の需要が高まり、木材価格が急騰。さらに、木材の搬出方法も整備されたため、本多は購入価格の70倍で木材を売却し、大きな利益を得ました。

この成功をもって本多はさらに財産を築き上げましたが、彼は引き続き質素な生活を続けました。「4分の1天引き貯金」を継続して無駄遣いを避け、計画的に資産運用を続けました。

一方で、財産を有効活用するために研究に関する海外視察を19回自費で行い、知識を深めることも行いました​。そして60歳になるころには、数百万円の貯金や株式、田畑や山林、別荘地など多くの資産を保有しており、計画的な蓄財と投資の成功が彼の生涯における大きな成果となりました​。

本多静六の名言

本多静六の名言

続いて、本多静六が著書の中で語った名言をいくつか紹介していきましょう。

「40までは勤倹貯蓄、生活安定の基礎を築き、60までは専心究学、70まではお礼奉公、70からは山紫水明の温泉郷で晴耕雨読の楽居」

この言葉は、彼が自身の人生計画を立てた際に記したものであり、彼の計画的な生き方と、年齢ごとに異なる目標を持つことの大切さを示しています。

彼は40歳までに勤勉と倹約を重ねて生活の安定を図り、60歳までは学問に専念、70歳までは社会への恩返しを行い、70歳以降は自然の中でのんびりと暮らすことを目指していました。この言葉は、彼の長期的な視野と自己管理の哲学を端的に表しているといえるでしょう。

「金というのは雪だるまのようなもので、初めはほんの小さな玉でも、あとは面白いように大きくなってくる」

本多静六は資産を雪だるまに例え、小さな元手でも貯金や投資を始めることで、それが時間とともに増大していくことを述べています。この言葉は、彼の勤倹貯蓄や投資哲学を端的に表現しており、実際に彼はこの方法で巨額の財産を築きました。

この考え方は、後に “投資の神様” ウォーレン・バフェットが提唱した「スノーボール理論」とも通じるものがあります。バフェットも複利の力を強調しており、資産が雪だるまのように増えていくことを説いています。

また本多は「どんなにつらい思いをしても、まずは投資の種となるお金を貯めなさい。ある程度貯まれば金が金を生み、金があるところにはいろいろいい知恵も出てきて、面白い投資口も考えられてくる」という言葉も残しています。

「好景気時代には勤倹貯蓄を、不景気時代には思い切った投資を、時期を逸せず巧みに繰り返す」

関東大震災直後、すべての株が暴落したとき、本多静六は、あまりに悲観されすぎていると考え、今買っておけば必ずもとに戻ると確信し、いくつかの株を大量に購入しました。果たして結果は予想通りで、本多静六は大儲けをしました。

この考え方は、彼が実践していた「勤倹貯蓄」と「リスク分散投資」のバランスに基づいており、景気の波を捉えて適切なアプローチを取ることが重要であると強調しています。

そして、ウォーレン・バフェットもほとんど同じ意味で、このように語っています。

 「他人が貪欲なときは恐れ、他人が恐れているときは貪欲であれ(Be fearful when others are greedy and greedy when others are fearful.)」

「人並外れた大財産や名誉の位置は幸福そのものではない。身のため子孫のため有害無益である」

本多静六は莫大な財産を築いたにもかかわらず、その財産や名誉そのものを幸福と考えませんでした。本多は、富や名誉を追い求めすぎることが、人生において本当に大切なものを見失う原因になり得ると考え、逆に子孫や自分にとって害になることを懸念していました。

そのため、財産が増えても質素な生活を続け、定年退官したあとには全財産を公共事業や慈善団体へ寄付したことでも知られています。この行動は、彼が財産や名誉を重視するのではなく、社会や後世の人々に貢献することに重きを置いていたことを示しています。

「二杯の天丼はうまく食えぬ」

本多静六は、苦学生時代に、生まれて初めて一杯の天丼を食べたとき、世の中にはこんなうまいものがあるのかと驚きました。

いずれこの天丼を二杯食べられるようになりたい、という願いを抱いていた本多静六は、後年、海外留学から帰ってきて、天丼を二杯食べてみました。ところが、とても食べきれず、またそれほどうまいとも感じませんでした。

この経験から、本多は「収入が2倍になっても幸福は2倍にはならない」と気付きました。この教訓は、彼の質素な生活哲学や蓄財の考え方に大きく影響を与え、「ほどほどの満足」や「節制の重要さ」を自覚するきっかけとなったのです。

質素な生活と計画的な資産形成が生んだ成功

今回は伝説の投資家・本多静六の蓄財法・投資法・名言について解説しました。

本多静六の成功の秘訣は、質素な生活を基盤としながら、長期的な視野で計画的な蓄財と投資を行ったことにあります。「月給4分の1天引き貯金」をはじめ、労働収入と副業で得た資金を慎重に運用し、好機を見極めて投資を行いました。

本多静六の投資法と生活哲学は、現代の投資家にとっても学ぶべきポイントが多く、無理をせず、計画的に資産を築くことの重要性を教えてくれます。彼の生涯は、富を追求するだけでなく、社会に貢献する姿勢を持つことの大切さを示しています。

本多静六の生涯に興味を持たれた方は、彼の名著『私の財産告白』を読んでみることをおすすめします。

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  • 記事を書いた人 ゴクラクJOURNAL編集部

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